「通潤橋」が橋として初めて国宝になったと新聞で報じられました。
確か昭和50年代だったと思いますが、阿蘇の高森から九州産交バスにのって
九州山脈の尾根筋をはるばるたどっていきました。
今は山都町となっていますが当時は矢部町で「矢部の通潤橋」とよばれていました。
バスの「浜町」の終点からすぐのところにありましたが、はるばる来たもんだという感慨が
一入でした。観光地の賑わいなどなく、素朴な飯屋で冷奴と冷や酒の昼食をゆっくり楽しみました。
再訪を望みたいところですが、まあ無理でしょう。
西行法師の「年長けてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山」の心境を
味わいたいと思うのですが…

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