地蔵盆
8月24日は地蔵盆。戦後昭和20年代私の小学校の頃が
地蔵盆が一番盛んだったのではないだろうか。
戦災を免れた阿倍野の大概の長屋では、「ろーじ」という向かい合った建物の中ごろに
お地蔵さんの祠があった。お盆にはお地蔵さんが薄暗い祠から出されきれいに洗われる。
そして新調の前掛けがかけられ大きな床几の祭壇が設えられる。
祭壇には菓子、果物や近隣の市場や商店からの寄付のお供えなどが
盛大に飾られ日頃ひもじい子供たちはワクワクしている。
天王寺の阪和商店街から仕入れたくじ付きの「当てもん」がワクワク感を
一層高める。お供えの中には料理自慢のおばちゃんが黒豆入りのおこわを
炊き上げ、火打箱という蓋つきの小さなお重に詰められ、後おさがりで配られる。
お飾りと並行して近所の男衆で盆踊りの櫓が建てられる、櫓と言っても四本柱にチョット
支えが付いた程度であるが、天井には子供の名の入った提灯がつられ、この1年に生まれた子供のは
まっさらのピカピカですぐわかる。
夜になると提灯に灯が入り盆踊りが始まる。
女の子はリップルの浴衣に着替えちょっと薄化粧の子もいる。
音頭取りが太鼓をたたき参加者が歌いながら踊る。
今でも歌えるがご詠歌のような悠長な歌である。
トテテラ チンチン トッテラ チン
チンテン ホイトコ ヒトハトコ
ホラ ヨヨイト サッサ
かんてき割った すり鉢割った
怒られた
他にも歌詞があったような気もするが出てこない。
その後マイクやレコードが加わって炭坑節や江州音頭も加わり
年々派手になって行った。そして下駄を蹴とばすような振りの
河内音頭が加わるようになったのが最盛期で、長屋も新建材で
2階建てにリニューアルされお地蔵さんをお守りする年寄りもいなくなった。
成世昌平の民謡集に「堀江盆踊り唄」というのがあり聴いてみると
共通するところもあったが、やはり堀江という色街の歌ゆえか微妙に
違っていた。
その頃の私は盆踊りの輪に入り内心ええかっこつけたいと思いながら
ランニングと半ズボンでじっと眺めているだけのあかんたれであった。
懐かしい昔話ですね!およそ65~75年前?
私もはなたれ小僧で、何回も踊りの輪に並んでは踊り続けて
新聞紙で作った袋のお菓子を貰ったことか、思い出が浮かびます。
塩豆・パイン飴・空豆・たらいの氷につけたラムネが美味しかったな―
その頃の長屋には我が家の6人はじめ、何と子供の数が多かった事か
ヨイト ヨーヨマッカ ドッコイセーノ セー
投稿: 信夫 | 2022年8月25日 (木) 08時14分