天ぷらの名店「天喜」
今日はチョット散財して京都千本今出川の天ぷらの名店「天喜」へ。
次男一家と出かけたのですが、丁度次男が孫と同じ年頃ですから
およそ30年ぶりです。
珍しく社用の接待で「坊ちゃんが京都にいてはるんゃったらご一緒に」と
次男まで「天喜」にご招待いただいたのです。
40年のサラリーマン生活で接待とは縁のない部署ばかりだったので
今でも鮮明に思い出します。2次会へ上七軒のお茶屋へ案内された時
2度と行く
ことは無いだろうと思いましたが、
その通りになりました。
今日はチョット散財して京都千本今出川の天ぷらの名店「天喜」へ。
次男一家と出かけたのですが、丁度次男が孫と同じ年頃ですから
およそ30年ぶりです。
珍しく社用の接待で「坊ちゃんが京都にいてはるんゃったらご一緒に」と
次男まで「天喜」にご招待いただいたのです。
40年のサラリーマン生活で接待とは縁のない部署ばかりだったので
今でも鮮明に思い出します。2次会へ上七軒のお茶屋へ案内された時
2度と行く
ことは無いだろうと思いましたが、
その通りになりました。
NHKテレビ「日曜美術館」は何時も楽しみにしているが
特に今のナビゲーターの小野さんがお気に入りである。
それは単純なことであるが、昭和の40年台の終わりごろ
大丸の人事部に勤務しており年に3回は大分に出張していたが
小野さんは大分のご出身であるというのも一つの理由である。
採用活動で大分の県内をくまなく学校訪問をしたが、延々と
リアス式の海岸をタクシーで回ったことを作品を読んでいて
ゆくりなく思い出すのである。ただ小野さんの母校は有数の
進学校であり一度も訪問をしていなかったのが残念である。
その頃はまだ由布院も有名になりかけで「亀の井別荘」や「玉の湯」も
民宿の部があり出張旅費に少し足が出るくらいでい出湯情緒を
楽しめた。願わくは「年長けてまた越ゆべしと思いきや命なりけり
豊後由布岳」を実現したいものである。
今日は父の弟のご命日。23歳でガダルカナルで戦死し、大阪護国神社に
祀られているのでお参りに行った。出征時はまだ独身で同居していたので
おぼろげに記憶があるような無いような気がしているが、母とはほとんど同い年くらいで
あったので思い出話はよく聞いた。中でも召集されてすぐ軍隊から逃げ帰ってきたことがあり
可哀そうやったという話はよく聞かされた。
また今日は私の次男の誕生日であるが、母が伯父と面影がよう似てんなあと遺影を見て
つぶやいていたことも記憶している。
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